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お釈迦さま⑱それぞれの境地とは
前回のブログでお釈迦さまが支持された方々を紹介させていただきましたが、それぞれの境地とはいかなるものなのでしょうか。
最初のバッカバ仙人ですが、天上界に生まれる事を目的としたという説があります。天上界とは六道の一つとされます。六道とは「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六つを指します。その一つ、天上界は我々人の世界に比べると寿命が長く、優れた世界であるとされますが、ここも迷いの境涯で寿命もやがて尽きるとされます。つまり、お釈迦さまから見た、天上界は最高の境地ではなく、飽くまで迷いの世界であったと推測できます。
※お釈迦さまの時代には六道という考え方が無かったというものや、六道ではなく、修羅を外した五つであったともいわれます。ハッキリとしたことは言えませんが、少なくともバッカバ仙人の望むものはお釈迦さまには、まだまだ迷いの世界に見えたということでしょう。
次にアーラーラ・カーラーマ師の境地である「無空辺処」ですが、これは仏教の世界において、無色界の第一天と定められています。あらゆる物質的なものを厭う世界であり、虚空を理解すると言われます。
正直に申し上げますと、具体的にどういう境地を指すのか、勉強不足の私にはしっかりとお伝えすることが非常に困難であります。しかしながら、仏教には三界という考え方があり、我々の世界は最も下の欲界に属しており、天上界も欲界に属します。そこから、色界、無色界へと続きます。
無色界はすべての欲もなく、物質的な考えもない、ある種超越した境地と考えられます。
さて、ウッダカ・ラーマ・プッタ師の「非想非非想処」は更に難解です。「無空辺処」の更に先、無色界の頂点の世界、境地を指します。「無空辺処」はまだ、精神的な事を認めているようですが、この「非想非非想処」はそれさえもない世界のように思えます。曖昧で申し訳ありませんが、また、改めて勉強させていただきます。
ただ、この「非想非非想処」別名を有頂天と言い、当時の仏教以外の宗教においては究極の境地とされます。しかしながら、お釈迦様の仏教の境地はまだ、この先にあるのです。
重ね重ね、未熟さの為にわけのわからない文面になりましたが、いずれ、改めて解説させて頂きたいと思っております。
22/09/30
22/09/29
22/09/16
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前回のブログでお釈迦さまが支持された方々を紹介させていただきましたが、それぞれの境地とはいかなるものなのでしょうか。
最初のバッカバ仙人ですが、天上界に生まれる事を目的としたという説があります。天上界とは六道の一つとされます。六道とは「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六つを指します。その一つ、天上界は我々人の世界に比べると寿命が長く、優れた世界であるとされますが、ここも迷いの境涯で寿命もやがて尽きるとされます。つまり、お釈迦さまから見た、天上界は最高の境地ではなく、飽くまで迷いの世界であったと推測できます。
※お釈迦さまの時代には六道という考え方が無かったというものや、六道ではなく、修羅を外した五つであったともいわれます。ハッキリとしたことは言えませんが、少なくともバッカバ仙人の望むものはお釈迦さまには、まだまだ迷いの世界に見えたということでしょう。
次にアーラーラ・カーラーマ師の境地である「無空辺処」ですが、これは仏教の世界において、無色界の第一天と定められています。あらゆる物質的なものを厭う世界であり、虚空を理解すると言われます。
正直に申し上げますと、具体的にどういう境地を指すのか、勉強不足の私にはしっかりとお伝えすることが非常に困難であります。しかしながら、仏教には三界という考え方があり、我々の世界は最も下の欲界に属しており、天上界も欲界に属します。そこから、色界、無色界へと続きます。
無色界はすべての欲もなく、物質的な考えもない、ある種超越した境地と考えられます。
さて、ウッダカ・ラーマ・プッタ師の「非想非非想処」は更に難解です。「無空辺処」の更に先、無色界の頂点の世界、境地を指します。「無空辺処」はまだ、精神的な事を認めているようですが、この「非想非非想処」はそれさえもない世界のように思えます。曖昧で申し訳ありませんが、また、改めて勉強させていただきます。
ただ、この「非想非非想処」別名を有頂天と言い、当時の仏教以外の宗教においては究極の境地とされます。しかしながら、お釈迦様の仏教の境地はまだ、この先にあるのです。
重ね重ね、未熟さの為にわけのわからない文面になりましたが、いずれ、改めて解説させて頂きたいと思っております。