毒の矢

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毒の矢

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2015/09/13 毒の矢

 仏教はヨーロッパの方々からすると、宗教というよりは、人生哲学に近い、と評価されることがあるそうです。
その理由の一つが、創造主が居ない、という点だといいます。

 

 確かに、仏教は驚くほど世界の起源について言及しておりません。唯一絶対の神様が居るわけでもなく、世界を創造するような壮大な物語もありません。

 

 どうやら、お釈迦様からすれば、そのような事には特に興味がなかったのではないかと思われます。私の中にある、苦の根源、いわゆる煩悩をいかにするか、という事が課題であり、世界の始まりなど、どうでもよかったのかもしれません。ただ、世界の始まりの言及はないにせよ、この世界の成り立ちや論理は存在するようです。

 

 お釈迦様のそういった考えは、毒の矢のエピソードに垣間見ることができます。

 

 あるとき、弟子の一人が、修行もせずに悩んでいた。お釈迦様はその弟子に修行をするように進めるが、彼は尋ねた。
「この世界の果てはどうなっているのでしょう。この世界はどうやって生まれたのでしょう。気になって修行に身が入りません」
お釈迦様はお答えになります。
「もし、今貴方が毒の矢で射られたらどうするだろう。誰が射たのか、矢の材質が何でできているのか、どこから射たのか、そんな事を考えるだろうか。そんなことはない。まず、矢を抜き、毒の治療をするだろう。それと同じだ。考えたところで理解もできない、世界の果てを思うより、今、貴方ができる修行をしなさい」
その言葉を聞き、弟子は修行に励んだといいます。

 

 人知が及ばないものに思いをはせるのも悪いことではありませんが、今、まさに私に何ができるのかを現実的に考えることも非常に大切な事だと思います。私にできる正しいことを少し考えてみるのもいいかもしれません。

 

※「毒の矢」のエピソードは、聞き及んだものですので、大まかな内容に間違いはありませんが、細部が異なる可能性があります。ご了承いただきますよう、お願い申し上げます。

 

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