仏教はいつまで続くのか③(この度は私見です)

光明寺

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仏教はいつまで続くのか③(この度は私見です)

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2014/05/25 仏教はいつまで続くのか③(この度は私見です)

 ①と②で、「正法」「像法」「末法」そして「法滅」の事を記事にさせて頂きました。
 最近では「仏教離れ」などという言葉も聞くようになり、本当に仏教がなくなるのではないか、とご心配の方もおられるかと思います。

 

 私の勝手な見解ではありますが、仏教はまだまだ、これからだと考えています。確かに、100年、200年前に比べて、熱心な仏教徒が減っているようなイメージはあるかと思います。また、仏教の法要も簡素化が進んでいるようにうかがえますが、それが仏教の衰退という事ではないと思います。

 

 近年、仏教の原点というべき、お釈迦さまの「原始仏教」の関係の本がよく売れているとか、仏教の「アビダルマ」と呼ばれるものが、脳科学として改めて注目されたり、というような噂を聞きます。

 

 ある本で読んだのですが、仏教は決して科学と相反しない、と記されておりました。私たちは、なんとなく、科学が進めば宗教である仏教は、衰退していくようなイメージを持っておりますが、元来、仏教とは科学と相反さないのです。というのも、仏教の根本的な考え方に「どう生きるか」という事が問われているからだと思います。死を考えるという事は、裏を返すと「亡くなるまでどう生きるか」という事だと思います。そういう意味では、キリスト教の「メメント・モリ」(死を思え)に近いと思えなくもないのですが、どうでしょうか。(勿論、解釈によって全く変わる話ではありますが)

 

 思えば、仏教は既に私たちの日常の中にすっかりと溶け込んでいるのではないかと思います。例えば、感謝する事を間違っていると考えられる方は少ないと思いますし、亡くなられた方を大切にする、ご縁を喜ばさせていただく、自分の命は様々なものの支えの上にある。このような事はごく普通に日常の中にあることだと思います。しかし、多くは仏教に由来しているものが多く、また、お釈迦さまの教えと相違ない部分が数多くあります。

 

 ですから、お釈迦さまの教えは、2500年を経て、私たちの日常となっていったと解釈できると思います。
ただ、これは私の勝手な、いわゆる私見でありまして、盛大な勘違いがあるかもしれません。その場合は、なにとぞご容赦下さいますよう、お願い申し上げます。

 

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