お釈迦さま㉑五比丘

光明寺

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お釈迦さま㉑五比丘

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2016/07/05 お釈迦さま㉑五比丘

 シッダールタと共にやってきた五比丘の御紹介を致します。余談ですが、五人と聞くと、子どものころに見た○○戦隊○○ジャー、というのを思い出してしまい、私の中ではそういうイメージがあります。

 

 アジュニャ・カウンディンヤ(サンスクリット語)
 アニャー・コンダンニャ(パーリ語)

 

 五比丘のリーダーで、バラモン出身の占い師。名前の「アジュニャ」は「よくぞ理解した!」というお釈迦さまの言葉に由来するとされます。お釈迦さまの最初の弟子になられた方です。
 やがて、後輩の比丘たちが多くなると、気を使わせないように隠遁されましたが、余命を悟ったとき、お釈迦さまにご挨拶に来られたと言われています。

 

 アッサジ(パーリ語)

 

 五比丘の一人。非常に姿勢が良く威儀端正であったそうです。お釈迦さまに弟子入りされたのち、師を求めていたサーリプッタ(後の十大弟子でお釈迦さまの高弟)が、アッサジの姿を見て感服し、師をたずねます。するとアッサジはお釈迦さまの名前とともに、その教えを一部伝えるとサーリプッタはすぐにお釈迦さまの弟子になったそうです。サーリプッタはこの恩を大切にし、彼を尊び、足を向けて寝ることがなかったと言われています。

 

 マハー・ナーマン

 

 五比丘の一人。シャカ族のクシャトリア(王族)出身とされます。マハー・ナーマンはシャカ族がコーサラ国に責められた際、「私が川にもぐっている間だけ、シャカ族の者を逃がしてほしい」と懇願します。それを受けたコーサラ国の王は、水の中に長くはもぐっていられないだろうと高をくくり、彼の提案を受け入れます。ところが、もぐったマハー・ナーマンは一向に水面に上がってきません。そのおかげで多くのシャカ族が逃げられたそうです。
 あまりに長い間出てこないので、訝しんだ王が兵士にもぐらせると、マハー・ナーマンは川底の木に髪をくくりつけ、体が浮かばないようにして絶命していたそうです。

 

 バドリカ ヴァシュフ

 

 五比丘の残りの二人です。バラモン出身とされますが、詳しくは分からないそうです。ほかの三人とともにシッダールタと苦行林で修行をし、紆余曲折を経て、お釈迦さまに弟子入りをされます。

 

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