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光明寺

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昔のブログ

2014/11/25 更新が遅くなりました

こんばんは。随分と更新が遅くなり、申し訳ありません。二日に一度は…と思いながらも、10日も空いてしまいました。

 

 さて、今回も先だってのお釈迦さまの言葉である『ダンマパダ』から、一つ気になったものを掲載させていただきます。

 

第十章 暴力

 

「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己(おの)が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
「すべての者は、暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって、生命は愛(いと)しい。己(おの)が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
(中村元氏訳『ブッダの心理の言葉 感興のことば』より一部を抜粋)

 

対になっているような句です。命を大切にしなさい、という意味合いの内容と受け止められるのですが、私が驚いたのは、最後の部分です。

 

「殺さしめてはならぬ」

 

非常に深い意味があるように思えました。「殺してはならぬ」は、すぐに理解出来る事ではありますが、「殺さしめてはならぬ」というのは、私事を越えた命の尊さを思うことが出来ました。

 

私の感想になりますが、殺すという行為は殺されるのと同じく、命を投げ出す行為であると思います。ですから、「殺さしめる」という事は、見殺しにするという意味として考えられるのではないかと思います。自分が殺す事を律するだけでなく、自分ではない誰かが、殺すという行為を止めなければならない。それは、自らが殺す行為と同等であるというわけです。

 

昨今、なぜ、人を殺してはいけないのか。という議論があるそうです。答えは「当たり前だから」だと私は思いますが、そんなに簡単に片付けられないのも事実であると思います。その場合、この文章が手がかりになります。「己(おの)が身をひきくらべて」つまり、自分が殺されるのという事を考えれば、という事だと思います。

 

私のただの感想にようになってしまって申し訳ないのですが、個人的には非常に印象に残る一文でした。

 

 

 

 

 

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