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〒662-0943 兵庫県西宮市建石町9-20
目連尊者の母は吝嗇である
前回に続いて、目連尊者の母が餓鬼道に落ちてしまったのかという話です。
これについても、様々な話がありますが、目連尊者の母親は吝嗇(りんしょく)であったとされます。
吝嗇とは物惜しみをすること。もう少し有体にいえば、ケチであるという事です。
もう一つは、息子である目連尊者の為ではありますが、己の欲を起こしたとされます。
例えば、目連尊者が子どもの頃、母親は我が子に対してできるだけお腹いっぱい食べてもらおうと考えます。
それが過ぎて、周囲の方々が飢えていようとも助けることをしなかったと言われています。
また、目連尊者が托鉢に訪れた際、我が息子に飲み、多くの物を渡したとも言われます。
共通するのは、我が子の為ではあるものの、それは欲であり、施しができない方であったという部分です。
ゆえに、施しが受けられない餓鬼道に落ちたとされます。
ですが、親としては子の為に、というのは美徳にも思えますし、仕方がないと思えます。
そういう意味では、子を思う親の心の悪い側面かもしれません。善か悪かを問い、どちらかに断ずるのは簡単かもしれません。
しかし、大切なのは、母親の欲の縁を息子の目連尊者が断ち切ったこと、そして、自らも母を救う為だけに欲を起こしていたとお気づきになったことに価値があるのではないかと思います。
飽くまで私見ではありますが。
22/09/30
22/09/29
22/09/16
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前回に続いて、目連尊者の母が餓鬼道に落ちてしまったのかという話です。
これについても、様々な話がありますが、目連尊者の母親は吝嗇(りんしょく)であったとされます。
吝嗇とは物惜しみをすること。もう少し有体にいえば、ケチであるという事です。
もう一つは、息子である目連尊者の為ではありますが、己の欲を起こしたとされます。
例えば、目連尊者が子どもの頃、母親は我が子に対してできるだけお腹いっぱい食べてもらおうと考えます。
それが過ぎて、周囲の方々が飢えていようとも助けることをしなかったと言われています。
また、目連尊者が托鉢に訪れた際、我が息子に飲み、多くの物を渡したとも言われます。
共通するのは、我が子の為ではあるものの、それは欲であり、施しができない方であったという部分です。
ゆえに、施しが受けられない餓鬼道に落ちたとされます。
ですが、親としては子の為に、というのは美徳にも思えますし、仕方がないと思えます。
そういう意味では、子を思う親の心の悪い側面かもしれません。善か悪かを問い、どちらかに断ずるのは簡単かもしれません。
しかし、大切なのは、母親の欲の縁を息子の目連尊者が断ち切ったこと、そして、自らも母を救う為だけに欲を起こしていたとお気づきになったことに価値があるのではないかと思います。
飽くまで私見ではありますが。
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