日没無常偈④

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日没無常偈④

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2015/01/17 日没無常偈④

 まず、お詫びです。先日の日没無常偈③の中の註のひとつ、「驚懼」の説明が間違っておりました。訂正は済ませましたので、ご報告させていただきます。

 

 「日没無常偈④」は、個人的な私の思いをつづらせていただきます。

 

 偈(げ)とは、大雑把に言いますと歌の事であります。ですから、無常を伝えられているのが、この「日没無常偈」であります。無常とは、諸行無常という言葉でよく知られていますが、すべてのものは一定ではない。もう少しいいますと、形あるものは必ず壊れる、という言葉が分かりやすいかもしれません。

 

 無常の中には、この世の一切ものが含まれております。かばんも、くつも、服も家も、必ず朽ちます。そして、私も必ずなくなっていく事であります。ですから、無常とは、恐ろしい言葉として受け止めることも出来ます。「日没無常偈」においても、どうして、驚き、恐れずにはいられないだろうか、という記述があります。

 

 ところが、驚かずにいられないのは「無常」ではありません。「無常」に気づいていない私の心に対してのことであります。「無常」とは、この世の定めであり、それを覆すこと出来ません。ですから、無常を恐れるのではなく、無常であるこの私を思うことが大切であると説かれているものであると思います。

 

 人間は慌しく生きていると、それを考える事が出来ない。ですが、日々、例え、一分でも、無常を、そして自らの命の行く末を考えていく事が大切なことであります。

 

 まず、無常というものの中に私の命も含まれている。そのことを考えるだけでも大切なことだと思います。

 

以上、私の思うところでございます。皆様方もそれぞれ、思われるところがあると思います。大切な言葉ですので、それぞれに受け止めて、日々の生活を振り返ってみましょう。

 

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