自ら招くという怖さ

光明寺

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自ら招くという怖さ

昔のブログ

2014/07/12 自ら招くという怖さ

 地獄の事をブログの中でつらつらと書きまして、改めて『往生要集』という書物を、私の浅薄な知識を頼りに読ませていただいたわけですが、地獄の、特に後半には一貫して「みずからの業」という意味合いの表記がいくつか出てまいります。

 

 地獄の炎は、自らの罪を焼き尽くす為にある。というような表現や、助けを求める罪人に対して、(地獄は)自ら作った罪による責め苦である。と獄卒が突き放す場面もあります。

 

 これは、ある種絶望的な言葉だと思います。他者からの理不尽で責め苦を追うならば、その理不尽を糾弾することもあるでしょうが、自らの責任によって地獄に堕ちるのです。誰も責める事ができません。

 

 その恐ろしき業は自分自身で作り上げるものなのです。そう考えてまいりますと、私自身の、ともすれば危うさと呼べるものに気がつきます。自分は間違っていない、正しいと胸を張っていても、罪を犯す縁あれば、悪行を成す私であります。悪因苦果、善因楽果の言葉が表す通りであります。

 

 とはいうものの、自分の正しい行いを信じることも大切な事であります。そんな事を思いながら、再び『往生要集』に目を通し、次の「餓鬼道」の記事を考える昨今であります。

 

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