日常生活に溶け込んでいる仏教①

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日常生活に溶け込んでいる仏教①

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2014/07/07 日常生活に溶け込んでいる仏教①

 仏教とはただの宗教ではない。という記述を見たことがあります。文化、哲学など、様々なものの中に溶け込んでいるからだそうです。そういう言い方をすれば、仏教に限らず、大きな宗教は多かれ少なかれ、人間の生活に大きな影響を与えている事だとは思います。ですが、やはり仏教は人間の生き方についてリアルに言及している部分がおおいので、宗教と区切ってしまうのはもったいない気もします。

 

 私達の生活を見てみますと、溶け込んだ仏教の片鱗があちらこちらに見られます。ただ、生活の中にすっかり溶け込んでしまって、それが仏教かどうか、それも分かりにくくなっているものが多いかと思います。分かりやすい部類からいいますと、諦観、煩悩、極楽、諸行無常など、日常では使わないかもしれませんが、よく耳に入ってくるこれらの言葉達は間違いなく、仏教用語であります。

 

 ちなみに、「諦観」は、悪い意味でのあきらめという意味にとられがちですが、本来は、物事の本質を明らかにするというような意味があります。「あきらめ」とは「明らかに見る」という意味であり、投げ出してしまう、という意味のあきらめとは、ニュアンスが違います。

 

 また、少しずつ、身近な仏教の言葉を紹介していきたいと思います。今日はこのあたりで、失礼します。

 

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