0798-35-2335
〒662-0943 兵庫県西宮市建石町9-20
三毒③
先だってからの「三毒」の続きです。
「貪欲」に続く二つ目は「瞋恚」と書きまして、「しんに」と読みます。 「怒りの心」を表します。
自分の思い通りにならなければ、たちまちに怒りをあらわにする様な心を指します。 我々の苦の根本とも考えられています。 六道では「地獄道」を表しているともされます。
しかしながら、怒らない、という事は簡単そうにみえて非常に難解であると思います。 (私の気が短いだけかもしれませんが……。)
さしあたって思いつくのは我慢するということですが、さて、この我慢も続けていくと いつかは反動として、身を滅ぼすような大きな怒りになるような気がします。
一つ目には、理解する事です。 要は、自ら思い通りにならないが故に、腹が立つわけです。さて、改めて考えますと、 本当に、それは私の思い通りになるものだったのでしょうか。 改めて、考えますと、私の思い通りになるものがこの世にどれほどあるものか。 まして、人が私の思い通りになるなど、ありえる話でしょうか。
二つ目には、自らの非をしっかりと理解する事でしょう。 怒りの構図は「私が絶対に正しい」という思いからも生じます。 「あいつは間違っている」という事は、自分は絶対に正しい、という考え方によるでしょう。 果たしてそうでしょうか。その「私が絶対正しい」というのは、自己愛による妄想では ないでしょうか。もし、そこに非があるのであれば、素直に謝るのも大切なことです。 胸の中のわだかまりがなくなれば、怒りも消えていくような気がします。
さて、ここで、三毒の一つ目「貪欲」とこの「瞋恚」が繋がるような気がします。 つまりは、「貪欲」私の思い通りにしたいという心があるが故に、それが成らない とき「瞋恚」怒りが生まれるのです。では、「貪欲」はどこから生じるのでしょうか。 それが、三毒の最後に位置する「愚痴」に他なりません。次回はその「愚痴」を 予定しております。
※この度の投稿では、多分に私見が入っております。本来、私見は極力入れない つもりでしたが、このような形になった事を、ご容赦ください。
22/09/30
22/09/29
22/09/16
TOP
先だってからの「三毒」の続きです。
「貪欲」に続く二つ目は「瞋恚」と書きまして、「しんに」と読みます。
「怒りの心」を表します。
自分の思い通りにならなければ、たちまちに怒りをあらわにする様な心を指します。
我々の苦の根本とも考えられています。
六道では「地獄道」を表しているともされます。
しかしながら、怒らない、という事は簡単そうにみえて非常に難解であると思います。
(私の気が短いだけかもしれませんが……。)
さしあたって思いつくのは我慢するということですが、さて、この我慢も続けていくと
いつかは反動として、身を滅ぼすような大きな怒りになるような気がします。
一つ目には、理解する事です。
要は、自ら思い通りにならないが故に、腹が立つわけです。さて、改めて考えますと、
本当に、それは私の思い通りになるものだったのでしょうか。
改めて、考えますと、私の思い通りになるものがこの世にどれほどあるものか。
まして、人が私の思い通りになるなど、ありえる話でしょうか。
二つ目には、自らの非をしっかりと理解する事でしょう。
怒りの構図は「私が絶対に正しい」という思いからも生じます。
「あいつは間違っている」という事は、自分は絶対に正しい、という考え方によるでしょう。
果たしてそうでしょうか。その「私が絶対正しい」というのは、自己愛による妄想では
ないでしょうか。もし、そこに非があるのであれば、素直に謝るのも大切なことです。
胸の中のわだかまりがなくなれば、怒りも消えていくような気がします。
さて、ここで、三毒の一つ目「貪欲」とこの「瞋恚」が繋がるような気がします。
つまりは、「貪欲」私の思い通りにしたいという心があるが故に、それが成らない
とき「瞋恚」怒りが生まれるのです。では、「貪欲」はどこから生じるのでしょうか。
それが、三毒の最後に位置する「愚痴」に他なりません。次回はその「愚痴」を
予定しております。
※この度の投稿では、多分に私見が入っております。本来、私見は極力入れない
つもりでしたが、このような形になった事を、ご容赦ください。